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ビーチに隣接したエリアでありながらも田園風景の美しいスミニャック。
ウブドも然りここでもまたスローライフを肌で実感出来るような気がします。
一般的なスローライフの定義の「ナチュラル」とか「体に優しい」を通り越して、自分自身の頭の中が天然スローになってしまうような。
南国の午後の田園とあくせくしない人々という組み合わせの空気感がそうさせるのでしょうね。
地元で人気のカジュアルなフレンチ料理、kafe Warisan カフェ・ワリサンへランチに出かけました。(カフェの綴りはKafeで間違いじゃないんですよ。)
テラスから見渡せる田園風景がのどか。
店内はコロニアル調のインテリア。
テラスを中央にテーブル席がコの字形で置かれています。
その2つの景色が組合わさるとこんな感じ。
お昼過ぎにはカウンターがスタンディング・バー状態になっていて、人がたくさんでした。見事にヨーロッパ人だらけでした。
お料理はとても美味しくて、前菜は鴨肉のテリーヌ、メインはインドネシア料理のアヤム・リチャリチャ風の魚介類のトマトソースとご飯を組み合わせたもの。そして最後に一番私たちを唸らせたのがデザートのパッションフルーツ、グレープフルーツ、バニラアイスの組み合わせ。シンプルな組み合わせなのにそれは見事に美味なデザートでした。
お料理の写真が無くて申し訳ないんですが、やはりお店のムードを考え、皆さん食事を楽しんでいらっしゃったし、運ばれて来たお料理をぱしゃぱしゃ撮るような雰囲気ではないので止めておきました。
すかさず横からバリ人が「日本人すぐ食べ物の写真撮るよ〜」と言っていましたが。(笑)
そういえば西洋人は景色を撮っていることが多いです。もしくはオリエンタルな香り漂う被写体(寺院など)を特に好んでいるように見えます。
韓国人はどこへ行ってもお子さんの写真ばかり撮っていました。
日本人は料理の写真が圧倒的。(これはブログ文化だから?)
バリ島内で見かけたカメラ風景と言えばざっとこんな感じでしょうか、余談でしたが。
同じ田園風景でもウブドとはまた少し違った情景を感じますね。
ではでは次回もまたスミニャックの日記が続きます。
スミニャックの日記の前に少し寄り道します。
べジな献立シリーズ
パンプキン・ケーキの登場です。
本で見たレシピがとてもおいしそうだったので早速作ってみました。ただ、本に載っている材料が揃わないので、それは我が家にあるもので代用してみました。
自然の甘さを活かした砂糖を使わないケーキです。
<ヒナギク代用レシピ>
かぼちゃ 300g
全粒粉 300g
りんご 1/2個
グレープシードオイル 100cc
(本にはごま油と紅花油でした。)
自然塩 少々
かぼちゃは蒸します。
蒸したカボチャを全粒粉とオイルと一緒に混ぜます。
りんごはいちょう切りにして塩水にしばらく浸し、最後にかぼちゃ等と一緒に混ぜます。
それをケーキの型(18cm)に入れて180度のオーブンで30分焼きました。
出来上がりです。
簡単ですよね。
お砂糖は使わないけれど甘くておいしかったです。
私はシナモンパウダーを少し振り掛けました。
ケーキのお供にはたんぽぽコーヒー。
これはスターバックス・バリ島限定マグです。
以上、ベジな献立シリーズでした。
移動です。
スミニャクでヨガをしたくなりました。
バリ島でヨガをするならばどこに行けばいいのかと申しますと、山間部のウブドか海辺のスミニャックがもっとも熱いかな、といった感があります。
私はいつもウブドでヨガを楽しんでいましたが、
(もっとも、本当の意味での村の人たちにとってのウブドというのはすごく狭い範囲で、ニュークニンやチャンプアンはウブドではなく、ウブド近辺の山間部一帯をひっくるめてウブドと呼ぶのは観光客くらいです。私もそうやってひっくるめてウブドと呼んでいます。)
ウブドでヨガにはまるうちにスミニャックのヨガってどんなだろうと興味が湧き、行ってみたくなりました。ヨガの種類で言えば、アシュタンガビンヤサ・ヨガをするならウブド、アイアンガー・ヨガをするならスミニャクに行けばいいクラスがあるというイメージで。
で、大変前置きが長くなりました。
そんなわけで、ビーチエリアに移動しまして、ここからしばらくはスミニャックの日記が続く予定です。
ところがスミニャックに移動しようと思って、いくつかのホテルに電話をしてみましたが、どこも満室とのこと。それは困ったのでこの際、どこでもいいから雰囲気の良さそうな所をと、ガイド本やネットに載っていたホテルにさらに2〜3件電話をしてみましたが、それらも全て満室でした。
そういえば9月は、行きの飛行機も満席、帰りも都合の良い便は満席のため1便早い飛行機にしたことを思い出しました。この時期は観光客が多いんですね。
そこで、スミニャックではなく、スミニャックから程近い、クタや空港へも好アクセスなレギャンエリアにある、以前から少し気になっていたホテルに電話をしてみたら、あっさりと予約が取れてしまいました。
いつもバリに来ていながら安宿のロスメンばかりでホテルに泊ることは稀なので、せっかくの機会ですから詳細を記しておきますね。
Courtyard Hotel& Apartemnts
Jl.Pura Bagus Teruna No.14,Legian
写真はホテル内の人気レストランのHotMango
スーペリアUS$75〜とお手頃なホテルで、長期滞在向けにアパートメントの設備を兼ねたお部屋もあります。
西洋人の多いホテルと聞いていましたが、見事にアジア人は私たちだけでした。
レギャンにやって来て、クタへも少し出かけてみましたが、海に沈む夕日を見るとなんだかセンチメンタルな気持になりそうでした。賑やかなバーがいっぱいのクタのナイトライフに興味を示さない私たちは、なんだか何もすることがなく、ウブドなら夜になったらバリダンスを見に行って、それからご飯を食べてあっという間に夜が過ぎるのになーと思い出すとちょっと寂しくなりましたが、ここのホテルが快適だったので、そのうちしっくり落ち着きました。
ホテルのお部屋のベッドルームはこんな感じです。
このお部屋以外にリビングもあり、広々とした快適なお部屋でした。
こんなにミーハーなノリでホテルの写真を撮っておきながらこういうのも変ですが、ホテルへの執着というのは旅の目的が霞んでしまいそうです。それに亡くなったインドラ氏も「昼間は散々出かけて夜寝るだけのために大金を払ってどうするんだ。」と常々言っておられましたが、まさに旅にホテルは重要であれど、しかしながら旅のメインにはなり得ないと私も思いますので、ホテルの話はこの辺で。。。
次回はまたまたスミニャックの日記が続きます。
2007年9月16日、アグン・インドラ氏が亡くなりました。
氏は私がチャンティをオープンするにあたって、非常にお世話になった方でした。
まだバリについてなにも知らなかった私にバリのいろはを教え、バリへの道をガイドして下さった方です。またバリ島からマッサージベットを送って下さったり、バリ独特の民間療法であるジャムゥのレシピやマッサージ療法を教えて下さったり、いろいろとお力を尽くして下さいました。正に彼なくしてはチャンティは在り得なかったと言えます。
また彼はヒーリング・センター・スルヤダルマのオーナーであり、私のバリ滞在時のホストファミリーでもあったので、いつも空港までの送り迎えはもちろんの事、食事に連れて行って下さったり、セレモニーに参加させて下さったり、また疲れた時にはマッサージもして下さいました。またバリ人は非常におしゃべり好きなのですが彼も例に漏れず、時折、彼の家に宿泊中、寝る前に居間で彼に掴まると、他愛のない世間話が始まるのですが、それが非常に楽しかったものです。
よくガイド本には載らない島内ドライブもして下さいました。
その時、2度ほどガベン(火葬)に連れて行ってもらった事があります。
バリ島の火葬については以前の日記にも書きましたが、それはまるでお祭りなのです。ミゲル・コバルビアス著の「バリ島」の中から引用するならば、
「おかしなことのようだが、バリ人の一番の楽しみといえば火葬儀礼である。火葬は浮かれ騒ぐときであって、喪に服するときではない。というのは遺体を焼いて死者の魂を解き放ち、死者がもっと上の世界に到達し、もっとすばらしいものに生まれ変われるようにするこの儀礼を行う事により、人は神聖この上ない義務を果たすことができるからである。」
「豪勢かつ完璧な火葬によって天に旅立つ魂を盛大に見送ってもらうことはバリ人ならだれでも生涯の夢である。」
これがバリのお葬式なのです。
そうしてインドラ氏にバリ案内がてら連れて行ってもらった火葬ですが、なにより連れて来た本人がいつまでもいつまでも飽くこと無く儀礼を眺めているのでした。その理由に彼は「火葬に集まっているたくさんの人たちを眺めるのが楽しいから。」と言っていましたが、本当は将来いつかくるであろう自分のその時を思い描いているに違いないと、そう見えました。
その時彼に「あなたもいずれこのような盛大な儀式のもとに焼かれるのですか?」と聞きました。彼は恐らくそうだろうと答えたので、「ならば私はその時にはあなたの葬儀に参加します。」と約束したものでした。
そんな日がこんなに早く来るとは思ってもみませんでした。
けれど私は約束通り、彼の葬儀に参加することが出来ました。
本当は7月に行く予定だったバリへの日程を偶然にも9月にずらし、今回はいつものように彼の家でなく、別にホテルを取りました。私たちが到着するその日、15日にインドラから、「いつバリへ着くの?」という確認の電話がありました。その日の夜、多分スマトラの余震なのしょうが、バリで地震があり、ウブドのホテルのベッドの上で私は大いに揺れを感じました。
次の日の朝、16日にインドラの家に行くと、先ほどインドラが亡くなったと悲報を聞きました。昨夜から心臓発作が起こり、どうしようもなくなって今朝病院へ運んだのですが、だめだったとのことです。
突然のことに信じられない思いでしたが、そういえばここ数年の彼は体調が思わしくないように見え、よく風邪を引いたり、長時間のドライブが体に堪えていたりしたようでした。
通常バリでは人が亡くなってから火葬まである程度の期間が置かれます。長い場合では何年もかかることもあります。それはきちんとした火葬儀礼を行うにはあまりにも費用がかさむというのがバリの常識だからです。祭司に来てもらうこと、儀式に使う聖水、豪華な塔、棺、供物、手伝いや客に提供する食事などなど、その出費は際限がありません。
インドラの火葬は亡くなってからわずか2日後と、異例の早さで行われました。
一般的には裕福な家庭は早く火葬が行えるといいますが、そこにインドラの、王族の子孫、アグンとしてのプライドを最期まで見せてくれたように思います。
火葬そのものは、違う土地から来たものにしてみれば、ある種、生々しく、痛々しいものではありました。ですがバリ人にしてみれば魂の無くなった遺体はただの物体に過ぎず、思い入れのあるものでは無いようです。
火葬が行われる前の晩、インドラが夢に出て来ました。
何故なのか、その出で立ちは、一物を緑の布で覆っただけの裸の姿でした。
彼の生前、私と彼とは顔を見ればよく冗談を言い合ったりした気さくな仲でしたが、時に熱く語り、時によく議論したものでした。
そういった時の私の何気ない一言が、子供のように無邪気で繊細な彼を傷つけたことが少々あったことを自覚していたので、夢の中で彼に謝りました。
そして、彼から「ちょっと言葉を気をつけてね、それからいい子になるように。」と言われました。
その夢の話を数日後に奥さんのプトゥに話すと、泣かれてしまいました。そして、「私たちの方こそ、なにかあなたに失礼があったなら謝りたい、そしてこれからもずっと友達でいて、一人になった私を支えて欲しい。」と言われました。
バリ人と日本人との友情関係は決して良いことばかりでなく、時に日本人には不愉快なバリ人の習性や宗教観から来る思考の違いなども手伝って、またそんなものが関係なくとも、人間なので長い付き合いの中には相手に対して腹も立ったりとか、よく思えないことも時々ありましたが、不思議なもので亡くなってしまった後は、そういった何もかもが彼の愛すべきキャラクターとして許せてしまうということです。全て懐かしい思い出に変わってしまうのですね。。。
こうやって奥さんと話をしていて初めて彼が亡くなった実感が湧いたような気がしました。でもバリでは死は魂が次のステップへと上る喜ばしい出来事なので、悲しんではいられません。それに悲しんでいるといつまでたっても魂が天に行けないと奥さんが言っておられました。
彼から教えを受けたことはたくさんあり、そして死して尚、何かを伝えてくれている様な気がして、今は感謝の気持ちでいっぱいです。
日本からもバリの彼らのもとへ訪れ、マッサージを受けたり、ヒーリングを受けたりして、気付けば随分たくさんの方が彼らと出会ったことと思います。
どうか少しでも彼のことを思い出して下さったら嬉しく思います。
写真は2005年自宅にて奥様と